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再見!アラーキー(1) 陽子

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敬愛してやまない写真家・荒木経惟あらき のぶよしが、最新作『暗箱』(2023)のあとがきで、「これが最後の写真集になるかもしれない」と柄でもないことを言っていた。 病気になっても傘寿を迎えても写真を続けていたので、突然の引退(?)宣言には面食らってしまった。 荒木も御年83歳。 体力的な限界を感じていても何らおかしくない。 しかしファンとしては「そんな弱気なこと言わないでよ、アラーキー…」と物悲しく感じてしまうのである。

今回の連載は荒木の仕事を後世に伝えたいという使命感から生まれたものだ。 最も本人としては、生きているうちに「回顧展」をされるのはイヤらしいのだが。 荒木は31歳の時に「私的な日常を写真の出発点として、それを続けていく」ことを宣言してから、今日までそのスタンスを貫いている(そこがカッコいい!)。 一般人のSNSから企業の広告にいたるまで、今や膨大な量の写真が生産/消費されるようになったが、その多くは荒木に言わせれば「噓っぱち」の「ファッション写真」なのである。 エロティックな作風を理由に敬遠している人がいるかもしれないが、「写真即人生」という生き方や写真に対するアプローチを知ることで、違った受け止め方ができるようになるはずだ。 デジタルに頼らないやり方も、若い人にも新鮮な驚きをもらたしてくれるに違いない。

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荒木は多作1でかつ仕事の幅も広いので、どういうスタンスで書けばいいか悩ましい。 バイオグラフィー的に書くというよりは、まずは複数の切り口から荒木の仕事を概観するのがよいだろう。 今回の切り口は「陽子」。 荒木最愛の妻である。 陽子さんは荒木の写真家人生になくてはならない、いわばミューズのような存在だ。

俺はよく、「陽子が私を写真家にしてくれた」って言ってるんだけど、“私写真家”として、生きるすべてを写真にできたのは、ひとえに彼女がいとくれたおかげ。四六時中アタシがカメラを離さないで、彼女を撮り続けたこと。新婚旅行の写真を自費出版することを陽子が許してくれなかったら、アタシは“写真家”にはなれなかった。

陽子さんとの出会い

二人の出会いは電通の会社員時代だった。2 社内報の撮影をきっかけに文書課で働いていた陽子さんと交際を始めた。 陽子さんのどこか暗い、陰のある雰囲気に惹かれたと言う。 荒木は三ノ輪 → 上野高校、陽子さんは千住 → 白鷗高校と、ともに下町育ちで学区の名門校に通ったという共通点があり、気が合ったそうだ。

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陽子さんは荒木のゲージュツ肌3を理解できる非凡な感性を持っていた。 初めてのプレゼントにモディリアーニの画集、婚約記念にベルメールの画集が贈って喜んでくれる女性なんて、稀有な存在と言う他ない! 荒木からのプレゼントは陽子さんの少女心をくすぐるものばかりだった。

物を見る目が彼には確かにあって、それも今までどこかで見かけたようないわゆる「良い趣味の物」ではない。こんな感じは初めてであり、こなすには少し難しいけれど、こういうものをこなしてみたいものだ、と思わせる、そういうものを選んでくれたように思う。だから彼からの贈り物、贈り物だけでなく、彼から借りた映画の本や、写真集など、それらによって私の感覚が少しずつ磨かれていったのかもしれない。だいたい彼とつきあいを重ねて来たワケというのは、自分の心の中では明白なのだ。それは、私のミーハー的ロマンチシズムを受け止めてくれる、ということ。 ツマンナイ物や事柄に執着する、そのフワフワしたとりとめない心を彼は見抜いているようだった。

『センチメンタルな旅』

1971年7月7日は二人の結婚記念日だ。 結婚式で新婦のヌードをスライドで写したところ、それを見た陽子さんの親戚のおばあちゃんがショックのあまり寝込んだしまったという(笑)。

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新婚旅行の情景をまとめた『センチメンタルな旅』は荒木の傑作として名高い。 この写真集のあけっぴろげな様はいつ見ても驚かされる。 初夜の場面でも容赦なくカメラが入り込んでいるんだから!

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幸せな新婚旅行を写しているはずなのにどこか不穏な感じがするのも、尋常じゃない引力を生んでいる。 『センチメンタルな旅』が陽子さんの道行きを暗示するような死の匂いを孕んでいることは、荒木自身認めるところだ。 狙って撮ったわけじゃないのに、後から見返すと意味があるように思えてならないと述懐している。

これがね、よく見ると、新婚旅行なのにもう三途の川を渡っている感じなんだよ。船にゴザが敷いてあるんだけど、東京の下町では人が死んだ時にゴザを敷く風習もあってさ。なのに彼女は、丸まった胎児の形をしている。撮っている時は気づかなかったけど、あとで写真を現像してドキッとしたね。センチメンタルな旅、新婚旅行が、死への旅になっちゃった。その頃から、生と死の混ざり合ったことが人生だっていうかさ、そういうような感じを、無意識に撮っちゃったんじゃない?

愛情生活

「写真即生活」「写真即人生」の荒木にとって、生活を撮るのは日記と変わらない。 自分の生活をさらけ出すのは勇気がいるし、身近な存在を撮るというのは結構照れくさいものだが、そこを躊躇わないから荒木はステキだ。 とりわけ豪徳寺の家のバルコニーは恰好の被写体になった。

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  • 写真は、まず自分が愛してるものを撮ることから始めなくてはいけません。そして撮り続けていなくてはいけません。
  • なんでもないことに、いちばん人生のドラマがある。結局、身近にある何も起こっていない風景だったり、身近にいる誰かでしかないんです。でもよく見ると、そこにこそドラマがある。
  • カッコつけた、表面的にきれいなだけの写真より、波にさらわれて取り戻したいと思うのは、誰にとっても、本当に何気ない日常のスナップだったりするんじゃないかな。

個人的に印象深いのが『ノスタルジアの夜』。 アンドレイ・タルコフスキーの映画『ノスタルジア』を見て心動かされ、興奮冷めやらぬままベッドインというストーリー。

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陽子さんが寄せた短い小説がこの写真集を魅力的なものにしている。

五月九日
六本木、シネ・ヴィヴァン。
アンドレイ・タルコフスキー、
ノスタルジア。

[......]

少しも難しくはなかった。流れる朝もや、キラキラ光る水滴、炎の色、しばしば登場する大きなシェバード、暗い部屋から見える強い雨脚、それらがすーっと感覚の毛穴に入り込んできた。この行為は何を意味しているのか、これは何の象徴であろうか、などという事は考えずに見た。この映画とこの監督に対しての知識が殆どなかったのが良かった。純粋に、私はこの映画の与えてくれたものを感じる事ができたのである。ラストの軽くべき画面、幻想的な雪が降り続くノスタルジア世界では、前のシーンで眠くなりかけた瞳が一事にバシッと開き、茫然たる気持にさせられながら見入ってしまった。

五月十六日、
二度目のシネ・ヴィヴァン。
今度は一人でノスタルジアを観に来た。
前の席に座っている男の体臭が強い。横に座っている女は、身をグスグスいわせていて、風邪がうつりそうで不快である。場内はムシ暑く、さつき飲んだペンキンズ・バーニ百円が、胃の底に溜まっているのが感じられる。
どうしたんだろう。
映画が始まっても、この前みたいに素直に浸れない。
前の男の体臭や横の女のグズグズが気になって、感覚の毛穴が閉じたままである。
それに、出てくる物や聞こえてくる音を、分析しようなんて思っている。
あ、これは何の音、電動鋸か、ここでこういう風に入れてるわけね、なんて、
変に小賢しく感じ入ったりしている。
つまらない。
ばかな鑑賞の仕方である。
見終って変な疲れ方をした私は、雨上りの六本木の街をとほとぼと歩いた。
水溜りに映っているネオンのにじんだ赤が、余計に自分の心をセンチメンタルに傾けるようだ。

打ちのめされるようなすごいものが目の前にあっても、それを受け取れるとかどうかは当人の心の状態次第。 これには思わずうなずいてしまう。 「感覚の毛穴」が閉じている時に限ってジタバタするのだけれど、たいてい徒労に終わり虚しさを募らせる羽目になる(経験的にそういう時はおとなしく過ぎ去る方がいい)。 観念的な教訓なのだが、(荒木もそうだが、)陽子さんの文章はグイグイ読ませる力がある。

荒木のお気に入りが神戸ホテルで撮ったこの写真だ。 正面を見据える眼差しと立ち姿がカッコいい。

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陽子さんの「物想いに沈んでいる表情」は、荒木の写欲を駆り立てる一番の魅力だった。 実際陽子さんの写真をいろいろ見ていると、笑顔よりもむしろ「心ここにあらず」という面持ちが多いことに気づく。 荒木というカメラは陽子さんのすべてを写してきたが、それでも理解しがたい一面があるというのは、人間が本質的には孤独な生き物であることを思い知らされる。

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最愛の妻の死

1989年8月11日、陽子さんは子宮筋腫の手術のため東京女子医大病院に入院した。 しかしながら陽子さんの筋腫は悪性で、医者から半年の命であることを知らされる。 荒木は病院通いを欠かさず、気落ちしている陽子さんを励ました。

1時ちょっと過ぎになると、それじゃソロソロ帰るかな、と彼は帰り仕度を始める。また明日も来てあげるから、と言いながら彼は私の右手をギュッと握りしめる。それは握手というより、夫の生命力を伝えてもらっているような感じで、私はいつも胸がいっぱいになった。彼の手は大きくて暖かく、治療に疲れて無気力に傾きそうになる私の心を揺さぶってくれた。その時の私にとって、彼の手の暖かさこそが生の拠りどころだったのではないか、と今しみじみ憶い出す。

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1990年1月26日、陽子さんの危篤を知らされた荒木は病院に駆けつける。 この荒木のシルエットは、こぶしの花を抱えて病院への近道の階段を上がる時に撮ったものだ。 つぼみだったこぶしは、陽子さんが亡くなった時にパッと花開いた!

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その翌日陽子さんは亡くなった。 42年の短い人生を全うした。 棺の中に収められている『愛しのチロ』は、陽子さんが出来上がりを心待ちにしていた写真集だ。 荒木と陽子さんの愛猫チロは、男やもめとなった荒木を慰め、励ましてくれる存在だった。 ベランダに降り積もった雪の上を飛び跳ねる姿に鼓舞されたことを繰り返し語っている。 無常なことに、妻が死んでも生活は、人生は続いていく。 荒木の写真家人生は、陽子さんの死で一度終わり、そしてもう一度始まったのだ。

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関連項目

ソース

  • 荒木経惟『荒木経惟写真全集 第3巻 陽子』平凡社 1996
  • 荒木経惟『ARAKI by ARAKI』講談社インターナショナル 2003
  • 荒木経惟『写真ノ話』白水社 2005
  • 荒木経惟『愛バナ アラーキー20年ノ言葉 2001-2020』講談社 2021

  1. 荒木がこれまでに発表してきた写真集・著作の数は500点を超える。 

  2. 荒木は年から年まで電通に在籍し、広告写真を撮る仕事をしていた。 本人の言によれば、ほとんど仕事をせず職権乱用で個人的な制作ばかりしていたそう。 「写真の実験」に熱中した電通時代を、写真家としての「修業時代」だったと回顧している。 

  3. ゲージュツ=芸術なのだが、荒木は「芸術」という言葉があまり好きではないらしく、自身の写真を「芸術」ではなく「芸能」だと語っている。 というのも、芸術という言葉には「高尚さ」「日常から遊離している感じ」があり、「日常のことがアートになる」という荒木の信念と相容れないからだ。 ここでは荒木流の茶化すような言葉遣いを使わせてもらい、「ゲージュツ」と表記した。 


最終更新日: 2024-07-17