コンテンツにスキップ

アラキ・クロニクル(2) <さっちん>で太陽賞受賞

大学時代

千葉大工学部写真印刷工学科に入学したが、化学中心の授業に退屈し、学校をサボって京橋のフィルムセンターに通ったり、秋葉原のデザイン学校に通ったりした。 フィルムセンターで映画を見るうちに、ヴィットリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』、ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』などのイタリアン・リアリズムに熱中。 カール・ドライエル『裁かるるジャンヌ』、ロベール・ブレッソン『スリ』『抵抗』もお気に入りだった。

映画にハマる一方、カメラ雑誌の月例写真コンテストなどに投稿。 毎月のように入選し、賞金で学費を払っていた。 「経惟」という名前は読みづらいかと思い、当初は「荒木のぶよし」名義を用いていた(格調がない感じが嫌で、途中で戻している)。 意外なことに他の写真家はあまり知らなかったという。 写真家への憧れではなく、父の手伝いという技術的なところから写真を始めたため、写真家のネームバリューを気にすることがなかったのだ。 荒木はよく「写真は芸術でなく芸能である」と言うが、職人の父を持ち、実践の中で写真を習得していったからこそ、この考え方が生まれたに違いない。

"さっちん"に出会う

ほとんど授業に出てなかった荒木だが、大学に写真広報学科をつくってもらい、卒業制作としてテレビ映画の撮影を始める。 小さい画面でも迫力が出るようにクローズアップを多用する方がいい、(イタリアン・リアズムへの傾倒で)素人が演者になったほうがドキュメンタリーぽく仕上がる、というようにテレビ映画の方向性は決まっていた。 大学4年生の夏、三河島の古い都営アパートで遊んでいた「さっちん」に出会う。 手回しのボレックスでアパートの子どもたちの映像を撮る傍ら、写真も撮り溜めていった。

三河島の戦前からのアパート、古くてさ、いいんだよ。匂いとか汚れとかさ、生きていくことに重要な人間臭さがあって、しょっちゅう通ってたね。真っ黒に日焼けした元気な少年が俺にパチンコを向けてきてさ、あわててよけたら、笑いころげてさ。タマが入っていないんだよね。それがさっちんだった。ガキ大将でさ、でも気が弱くて、自分みたいなヤツだなーって思ったね。名前が幸夫(さちお)だから“さっちん”。俺、ノブちんって呼ばれてたからね。だから、さっちんには偶然出会ったんだよ。マー坊はさっちんの弟で、マー坊のほうが気が強かった。子どもたちが一日中、汗まみれで走り回ってた。生き生きとしてたね。

xxx xxx xxx xxx

<さっちん>を見ていると元気とエネルギーをもらえる。 どの子も表情豊かで、撮られる喜びが全身に表れている。 たくさんの子どもの中でもさっちんにフォーカスしているのは、荒木が自分の面影を感じていたからだ。 さっちんもだんだん自分が注目されていることがわかってきて、おどけてみたりポーズをとったり、よりイキイキと動くようになった。 画面を飛び越えてきそうな臨場感のあるアングルは、荒木が子どもたちと一緒になって転げ回っていたことを示している。

でも、同じ目線の高さで撮るっていうこういう「さっちん」の撮り方は、今はもうできないね。上から撮ってないでしょう。仲間になってる。だからこれは傑作なんだよね。

xxx xxx xxx xxx

第1回太陽賞受賞

さっちんらを撮った映画「アパートの子どもたち」と論文を提出して大学を卒業。 映画の出来にはあまり満足していないようで、「映画を作る意欲はあったが技術が足りなかった」「写真の方が自分の性に合っていた」と回想している。 卒業後は広告会社電通のカメラマンになった。 『アサヒグラフ』(朝日新聞社出版局)からの誘いもあったが、現場に張りついている報道写真家のスタイルが嫌で辞退している。 入社して間もなく<さっちん>で第1回太陽賞を受賞。 賞をとったことは嬉しかったが、荒木当人としては相当な自信があり、受賞は確実だと思っていた。 というのも、当時のドキュメンタリーは障がい者や社会的事件を扱った「不幸もの」が主流で、荒木のように「身近な日常のこと」を撮った写真は全く新しいものだったからだ。 受賞に対する思いをこう述べている。

ぼくは、うぬぼれ屋で世間知らずだから、第一回太陽賞はオレのものだと仲間たちに吹聴してまわっていた。みんなは、いつものホラがはじまったと本気にしなかったが、ぼくはぼくなりに自信があった。
近代美術館のフィルム・ライブラリーで、ドレイエルの<裁かるるジャンヌ>と、ロベール・ブレッソンの<抵抗>から”ドキュメントとは人間を凝視しつづけることによって、その本質を発見することである”ということを教えられた。そこで実際にドキュメンタリー・フィルムの制作を試みたが失敗。凝視がたりなかったのだ。奮起一番、写真機というしろもので挑戦。こんどはフィルム制作のキャリアがプラスして、できあがった映像のよしあしは別として<さっちん>という人間を発見することができた。
賞ってやつはいいもので、金はくれますし、ひとりぼっちのぼくを勇気づけてくれます。ごきげんです。

実は太陽賞の前に荒木の才能を見抜いていた人物がいる。 それが桑原甲子雄である。 桑原が編集長を務めていた『カメラ芸術』で<マー坊>のグラビア特集を組んでもらったことを機に、二人の交流が始まった。 荒木と桑原はお互い良き理解者であり、無二の友人であった。

関連項目

ソース

  • 荒木経惟『フォトミュゼ さっちん』新潮社 1994
  • 荒木経惟『天才になる!』講談社 1997
  • 荒木経惟『オリジナル版 さっちん』河出書房新社 2017
  • 荒木経惟『私情写真論』 月曜社 2017

最終更新日: 2024-07-17