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浮世絵の歴史(10) 画狂 葛飾北斎

全盛期の歌川派に対抗したのが、浮世絵界の巨星 葛飾北斎かつしか ほくさい です。 北斎のすごいところは、70年もの絵師生活の中で常に新しい表現を探求し続けたことです。 晩年になっても創作意欲が衰えることはなく、「画狂」を自称しました。 《富嶽三十六景》が有名ですが、風景画以外の方面でも偉大な功績を残しています。

葛飾北斎

北斎の画業を顧みると、作風がたびたび変化していることに気づかされます。 作風と同じく画号も次々と変え、その数は30にも及びます。 主要な画号ごとに北斎の画歴を辿ってみましょう。

勝川春朗の時代(20~35歳頃)

幼少のころから絵を描くのが好きだった北斎は、当時の役者絵の第一人者勝川春章に弟子入りします。 入門翌年「春朗」として絵師デビューを果たしますが、しばらくは平凡な細版役者絵や版本挿絵を描いていました。 兄弟子の春好に絵草紙屋の看板絵をけなされたことを機に、狩野派、土佐派、雪舟派、西洋画といったあらゆる画法を学ぶようになります。

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俵屋宗理の時代(35~45歳頃)

春好との不仲から勝川派を破門された北斎は、琳派の流れを汲む「俵屋宗理」を襲名し、それまで手がけてこなかった狂歌摺物や狂歌本の挿絵、肉筆画に精を出すようになります。 宗理期に手がけた優美な美人図は「宗理型美人」として高く評価されています。 柳腰に瓜実顔、どこかの寂しげな表情が特徴です。

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葛飾北斎の時代(46~51歳頃)

40歳の時「北斎」に改号しました。 この頃の洋風版画の作例を見ると、西洋銅版画の遠近表現をものにすべく試行錯誤を繰り返していたことが伝わってきます。

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一方で、曲亭馬琴の『椿説弓張月』など読本の挿絵の仕事も熱心にこなしました1。 読本の挿絵は1冊に数ページしかないものですが、北斎の力強い描写は読者に鮮烈な印象を残したに違いありません。

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葛飾戴斗の時代(51~60歳頃)

北斎に次いで「戴斗」の号も併用するようになります。 増えてきた弟子を育成するための指南書として、『北斎漫画』などの絵手本を多数制作しました。 優れた観察力と非凡なデッサン力を遺憾なく発揮し、あらゆるモチーフを書き尽くしています。

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ジャポニズムの火付け役『北斎漫画』

『北斎漫画』はヨーロッパに浮世絵が知られるきっかけをなった作品です。 日本から送られてきた陶器の包み紙に『北斎漫画』が使われており、その生き生きしたデッサンに驚嘆した画家ブラックモンは、友人のマネやドガに見せて回りました。 日本の美術品に対する関心はジャポニズムというムーブメントを巻き起こし、印象派の作家たちに多大な影響を与えました。

為一の時代(61~74歳頃)

70歳前後で《富嶽三十六景》をはじめとする風景画の連作を手がけます。 風景画を浮世絵の一ジャンルに押し上げた記念碑的な作品群はこの時期に作られました。

おなじみ《富嶽三十六景》は江戸や東海道から眺めた富士山を描いたシリーズ2。 安定感のある構図と力強い造形性がこの作品の見所です。

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全46図3に一つとして同じ富士はなく、名峰の魅せ方はバリエーション豊かです。

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ちなみに《富嶽三十六景》にはいくつかのバージョンがあります。 西村屋の版元から出された初摺4は色彩に藍の濃淡だけを用いる「藍摺絵」でした。 藍摺の色料にはオランダから輸入された「ベロ藍」が用いられました。

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《富嶽三十六景》に比べて知名度が低いのですが、《諸国滝廻り》《諸国名橋奇覧》《千絵の海》もおさえておきましょう。 北斎の描く奇天烈な風景は見る者に忘れがたい印象を残します。

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花鳥画の仕事も重要です。 図鑑と見まがうばかりの正確な描写を特徴とする北斎の花鳥画は、季節の変化を穏やかにとらえる伝統的な花鳥画とは一線を画しています。 《鷽と枝垂桜》は地のベロ藍と花鳥の淡い色彩がコントラストをなしており、北斎の卓越した色彩感覚を味わうことができます。

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画狂老人卍の時代(75~90歳頃)

75歳の頃から「画狂老人卍」を名乗るようになります。 高齢になっても作画への情熱を失わず、絵本『富嶽百景』5でまたも富士を書き尽くしています。

晩年の肉筆画は北斎の画業の集大成となりました。 鬼気迫る筆致で描かれた《龍虎図》のような作品もあれば、静謐かつ奇妙な《西瓜図》もあって、すさまじい画技に驚かされるばかりです。

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また、豪商高井鴻山に招かれて信州小布施(現 長野県小布施町)に逗留し、祭屋台の天井に波涛図・龍図・鳳凰図を描きました。

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1849年、北斎は90歳で亡くなります。 北斎の画業は様々な能力をかけ合わせた「総合力」のたまものでした。 常に新たな境地を目指して研鑽を怠らない姿勢、狩野派から西洋銅版画に及ぶ幅広い画法の習得を通じて、類まれなるデッサン力・構成力・色彩感覚を培ったのです。

北斎は70年にわたる絵師人生の中で多くの弟子を育てました。 以下では興味深い仕事をした弟子たちを紹介します。

魚屋北渓

本人は葵岡を名乗りましたが、前職が魚屋だったことから 魚屋北渓ととや ほっけい と呼ばれました。 狩野惟信に絵を学んだ後北斎に弟子入りしました。 狂歌摺物や狂歌本の挿絵を多く手がけています。 こうした摺物は裕福な好事家が自費出版で制作するもので、市販の錦絵に比べて印刷に金をかけるので豪華な仕上がりとなります。 北渓の緊密な筆致だけでなく高度な彫摺技術にも注目してみてください。

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柳々居辰斎

柳々居辰斎りゅうりゅうきょ しんさい の素性は神田に住まい本職は家主だったこと以外よくわかっていません。 狂歌摺物や狂歌本の挿絵を中心に活動しました。 師である北斎の影響を受けてユニークな洋風版画を残しています。

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蹄斎北馬

蹄斎北馬ていさい ほくば は肉筆画を得意としました。 北斎のもとにいたのは短期間だったようで、のちに北斎の影響を脱し歌川派に接近した画風になりました。

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昇亭北寿

昇亭北寿しょうてい ほくじゅ は北斎の洋風版画を受け継いでもっぱら風景画を描き、「浮絵上手」と評されました。

《東都 御茶之水風景》に見られるように、崖などを単純化した三角形や四角形に分解し、その中を数種類の色で塗り分けて明暗を表現しました。 こうした表現は浮世絵史の中でも異彩を放っており、キュビズムを思わせるところがあります。

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葛飾応為

北斎の娘である 葛飾応為かつしか おうい は父の代筆をつとめるほど卓越した画技を有していました。

現存する応為の作品はわずか十数点。 そのうちの一つが《吉原格子先之図》、吉原の夜を陰影を駆使して精緻に描き出した名品です。 客が手にする提灯や妓楼の室内の明かりなど、複数の光源が陰影のグラデーションを作り出しています。

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関連項目

ソース


  1. https://dl.ndl.go.jp/pid/2557122 で『椿説弓張月』を見ることができます。 

  2. 富士山をどこから眺めたのか知るには以下のサイトが便利です。 46図の観測地点を示したマップが見られます。 https://creativepark.canon/meiga/artmap/fugaku36.html 

  3. 「三十六景」をうたいながら実際は46図あります。 当初刊行されたのは36図でしたが、好評につき10図が追加制作されました。 

  4. 浮世絵の中には同じ図像でも摺りや配色が異なるものがあることをご存知でしょうか? 浮世絵研究では、最初の注文で摺られた作品と追加注文で摺られた作品を区別します。 前者を初摺、後者を後摺と言います。 後摺は何度も摺っているうちに版木が摩耗したり、急ぎの注文ゆえ摺りが手抜きになったりするので、初摺の方が重宝されます。 初摺を見分けるには、いくつかの同一作品を比較し、主版がシャープか、摺が丁寧か、色版が傷んでいないかといった点を検討する必要があります。 

  5. https://ndlsearch.ndl.go.jp/imagebank/theme/fugaku100で『富嶽百景』を見ることができます。 


最終更新日: 2024-02-26