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浮世絵の歴史(11) 歌川派の双璧 国貞と国芳

喜多川歌麿や東洲斎写楽が活躍した寛政期(1789-1801年)を過ぎると、浮世絵は急速に爛熟していきます。 紅嫌いのような地味な色使いの絵より、色をふんだんに用いた華美な絵が好まれ、モチーフの誇張や歪曲もよしとされました。 浮世絵のジャンルは多様化し、伝統的な役者絵と美人画以外にも、風景画や武者絵などが盛んに描かれました。 作画だけでなく彫りや摺りの技術もいっそう高度化し、極彩かつ細密な画面が作られました。 一方で、錦絵の濫造が表現の画一化をもたらしたことも事実です。

ここでは、歌川派の 国貞くにさだ国芳くによし を中心に、幕末の浮世絵界で活躍した絵師たちを紹介します。

菊川英山

1806年歌麿は急死してしまうのですが、大衆は依然のとして歌麿の絵を求めていました。 そのニーズに応え「ポスト歌麿」として人気を博したのが 菊川英山きくかわ えいざん です。 晩年の歌麿を継承した穏やかで愛らしい女性像を得意としました。

下の作品はどちらもリラックスした様子の女性をモチーフにしています。 親しみやすい風情ですが、その表情はどこか物憂げです。

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シルエットを効果的に用いた作例は一見に値します。 メインの遊女以外の人物は影として描かれる中、遊女に向かう手がわずかに見えています。 こうした趣向は遊女の艶姿を印象づける効果があります。

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英山が手がけた歌麿風の美人画は庶民に歓迎されましたが、その人気も長くは続かず、次第に 渓斎英泉けいさい えいせん や歌川国貞が描く新しいタイプの美人画がもてはやされるようになります。

渓斎英泉

渓斎英泉は長い回り道の末絵師になった人物です。 武士の家系に生まれ、幼少時は狩野白珪斎に絵を学びました。 一時は仕官もしましたが、人のそしりを受けて職を追われ浪人となります。 狂言作者の弟子になるなどの紆余曲折を経て、菊川英山とその父英二のもとに落ち着きました。 英泉が英山の門人としてデビューする頃には20歳半ばになっていました。

師英山の描く美人が上品で穏やかなのに対して、英泉の描く美人は官能的で表情に屈折した情念が混じっています。 女性の脂粉の香さえ漂ってくるような濃艶な作風は、幕末の退廃的雰囲気をよく表しています。 多くは遊女をモデルとしましたが、市井の女性を描くこともありました。

英泉最盛期に描かれた《浮世風俗美女競》は美人大首絵の傑作です。 強いまなざしと歯を見せた口元に色っぽさを感じます。 下唇の緑色は笹口紅によるもの。 紅の上に墨を塗って玉虫色に光沢を出す当時流行の化粧でした。

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英泉が描く女性は六頭身のプロポーションをしています。 鳥居清長が描く女性が八頭身だったことをかんがみると、美人の表現も大きく変化してきたのだと実感しますね。 丸く盛り上がった甲高の足も特徴的。

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また、彩色に藍だけを用いた藍摺絵の分野でも優品を残しました。 《仮宅の遊女》は発色の良いベロ藍のみを用いてトーンに幅を持たせています。 配色を藍に統一することで涼しげな画面を作り出しています。

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あまり知られていませんが、英泉は美人画のみならず風景画も手がけています。 《木曾街道六十九次》では24図を担当、残りは歌川広重が引き継ぎました1

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《江戸名所 隅田川》は自然な遠近感で空間の広がりを表現しています。 アルファベット風の文字を額縁風の枠に配した意匠も面白いです。

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北斎を私淑していた英泉は、北斎の《諸国滝巡り》に倣った作品を制作しました。

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天保の改革以後は文筆業がメインの仕事になりました。 「一筆庵可候」の筆名で戯作を書いたほか、浮世絵師の伝記を『無名翁随筆』にまとめました。 これは大田田南畝の『浮世絵類考』の補記として書かれたもので、今日の浮世絵研究における重要な史料となっています。

歌川国貞

歌川国貞は歌川派きっての実力派絵師。 美人画と役者絵の名手で、国貞が作り上げた様式美は多くの絵師に参照されました。 絵師として活動した期間は長く、制作した作品の数も膨大な量に及びます。

歌川豊国に師事し、1807年に「五渡亭」の号で絵師デビューを果たしました。 清新な作品を次々と発表し、たちまち浮世絵界の第一線を担う存在となりました。

師の没後は歌川派を率いるリーダーとなり、1844年に二代目豊国を襲名しました。 本人は二代目を名乗っていたのですが、初代豊国の娘婿である歌川豊重がすでに二代目を名乗っており、本来ならば国貞は三代目にあたります。 国貞は実力のない豊重を二代目と認めず、その存在を無視して二代目を名乗りました。 混乱を避けるため、今後は国貞=三代目豊国という体で話を進めます。

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「豊国にがほ、国芳むしゃ、広重めいしよ」という評にあるように、国貞は役者絵に突出した腕前を持ち、師豊国を継承・発展させた様式を作り上げました。 特に五渡亭時代の役者絵は師を凌駕したと言われるほど評価が高いです。 五渡亭名義の《大当狂言之内》は、当時活躍していた人気役者をモデルとした大首絵の力作。 背景に雲母摺を用いた豪華仕様で、国貞が版元に売れっ子絵師として認められていたことがわかります。

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美人画においては、江戸下町の女性の粋な魅力を描きました。 《星の霜当世風俗》は国貞美人画の名品。 なまめかしい女性もさることながら、背景や小道具など生活の細やかな描写が情緒ある雰囲気を作り出しています。

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次に美人大首絵の作例《当世三十弐相》を見てみましょう。 「当世三十二相」は「~~そう(相)」という言葉にまつわる美人画シリーズ。 「あそびた相(遊びたそう)」「はやり相(流行りそう)」というような具合で、タイトルに応じて様々な女性像が描かれました。 女性の衣装や髪の生え際は高度な彫摺技術によって精緻に表現されています。

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つり上がった目尻、猪首(=首が太く短いこと)、猫背といった身体的特徴は英泉が描く美人と似ていますね。 ただ、英泉が主にあだっぽい遊女を描いたのに対して、国貞は市井の女性をモチーフにしており、庶民ならではの親しみやすさ・したたかさが感じられます。

草双紙2の挿絵の仕事も重要です。 柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』に描いた挿絵は源氏絵ブームを引き起こすほどの影響力を持ちました。

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三代目豊国襲名後は名実ともに浮世絵界のトップ絵師となりましたが、注文殺到で濫造気味になり、作品の質の低下を余儀なくされました。 それでも、最晩年の役者大首絵は画業の集大成にあたる作品として一見に値します。 発色のよい顔料を使うとどぎつい画面になりがちですが、国貞はこれを大胆に用いて迫力に満ちたイメージを作り出しています。

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歌川国芳

兄弟子にあたる国貞が役者絵や美人画といった伝統的なジャンルで活躍したのに対して、国芳は武者絵や戯画といった未開拓の分野に取り組みました。

江戸日本橋の染物屋に生まれ、15歳で初代豊国に入門。 19歳で絵師デビューを果たすも、しばらくは不遇の時を過ごしました。

国芳の出世作となったのが水滸伝の豪傑を描いた5点の武者絵です。 もとは曲亭馬琴の『傾城水滸伝』を端緒とした水滸伝ブームに乗じて制作されたものでしたが、大ヒットを受けてシリーズ化し、最終的には74図が刊行されました。 英雄の力強い描写と躍動感に満ちた構図が見所です。

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三枚続の武者絵も国芳ならではの作例です。 鳥居清長の続絵が一枚ずつ単独でも鑑賞できるのに対して、国芳の続絵は3枚ブチ抜きの構図で描かれました。 《相馬の古内裏》の骸骨、《宮本武蔵の鯨退治》の鯨、《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図》の鰐鮫。 どれもこの世のものとは思えない異形の姿をしています。

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武者絵に並ぶ国芳の得意分野が戯画です。 ユーモアとウィットに富んだ面白い作品にハマってしまうこと間違いなし。 天保の改革で役者似顔絵が禁止されてしまいますが、壁の落書きという体裁にすることでその規制をかいくぐりました。 落款や版元の表示も落書き風に書いているところに国芳のセンスが光っています。

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国芳は出版統制という逆風の中にあっても反骨精神を失わず、自作で天保の改革を揶揄することもありました。 《源頼光公館土蜘蛛作妖怪図》は表向き土蜘蛛退治の伝説をテーマとしていますが、悪政に怨嗟の声をあげる庶民たちを暗闇にうごめく妖怪の群れに仮託した風刺画なのです。

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裸の人体を集めて構成した戯画も有名ですね。

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猫をモチーフとした戯画は猫好きの国芳でないと描けないものです。

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美人画でもアイデア勝負なのが国芳流。 切り抜いて団扇に貼ることができる絵を精力的に手がけました。 現存する団扇絵は実は図柄の見本帖として綴じられたものです。 実際に絵を貼り付けた団扇は消耗品として捨てられて残っていません。

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《江戸じまん名物くらべ 亀戸のふぢ》に描かれたのは亀戸天満宮の茶屋娘です。 真剣な面持ちで火起こしにいそしむ姿は、色気や情念とは無縁の健康的な明るさがあります。 ここで亀戸天満宮の名物である藤と太鼓橋を探してみましょう。 藤は左上に、太鼓橋は右上の「こま絵」3の中に描かれていますね。

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風景画でも興味深い作品を残しています。 《東都名所 かすみが関》は今まさに坂を上ってきたかのような臨場感が味わえる作品です。

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《近江の国の雄婦於兼》は、お兼という女性が暴れ馬の端綱を足駄で踏みつけて鎮めてしまったという伝説を絵画化したもの。 馬や背景の描写は洋風なのに主役のお兼はTHE浮世絵といった風貌で、そのアンバランスさゆえに強く脳裏に刻まれる作品です。

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関連項目

ソース

  • 稲垣進一(編)『図説浮世絵入門』河出書房新社 1990
  • 小林忠(監修)『カラー版 浮世絵の歴史』美術出版社 1998

  1. https://dl.ndl.go.jp/pid/1306225 で《木曾街道六十九次》を見ることができます。 

  2. 江戸時代に書かれた絵入りの短編小説で、読むことより見ることに重きが置かれました。 読本の挿絵が一冊につき数ページしかないのに対して、草双紙は毎ページ絵が入り、絵の余白にひらがなで本文を書きました。 表紙の色によって赤本・黒本・青本・黄表紙と区別し、長編で合冊したものを合巻と称します。 

  3. 画中に枠を設けその中に描いた絵。 メインとなる絵と何らかの関係があり、作品をより深く鑑賞するための手助けとなります。 


最終更新日: 2024-03-16