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浮世絵の歴史(2) 浮世絵版画の創始者 菱川師宣

今日浮世絵と聞いてイメージされる「一枚摺の版画」という形式は、菱川師宣によって生み出されました。 現実の社会風俗をモチーフとした浮世絵版画は、庶民にとって廉価で購入できる有用な情報源でした。

一枚摺版画の誕生

徳川家康によって幕府が開かれて以降江戸は政治の中心都市となりましたが、文化面は依然として上方(京都・大阪)からの移入に頼る状況が続いていました。 しかし、江戸に大きな損害をもたらした明暦の大火(1657年)からの復興を機に、江戸独自の文化が生まれるようになります。 特に庶民向けの文学が流行し出版業が盛んになりました。 この頃の本は版木で文章と挿絵を摺る「版本」でした。

版本挿絵の仕事で頭角を現したのが 菱川師宣ひしかわ もろのぶ です。 師宣は数多くの絵入本を手がけ人気絵師となりました。 師宣の絵入本を見ると、絵が大きく文章は少ない、あるいは絵だけで文章がないページが確認できます。 従来の版本の形式は「文章主役、絵脇役」というものでしたが、師宣は大胆にも絵を主役に据えたのです。

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版本における挿絵の割合が段々と大きくなり、ついには版本から独立して鑑賞用の一枚絵が作られるようになりました。

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師宣の一枚摺作品《衝立のかげ》を見てみましょう。 これは12枚セットの春画の一図です。 若い男女が戯れる様子がはっきりとした線で描かれています。 墨一色の一枚摺を筆で彩色していることから、富裕層向けの高級品だったと考えられます。

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菱川師宣の肉筆画

師宣は版画(版本や一枚摺)以外にも肉筆画を制作しました。 版画とは違い、肉筆画は絵師自らが筆をとった一点もの。 裕福な人々から依頼を受け、掛幅や絵巻、屏風に描かれました。

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師宣の肉筆画としてよく知られているのが《見返り美人》。 寛文美人図の伝統を踏襲した一人立ち姿の女性像です。 後ろを振り返るポーズが印象的な作品ですが、着物や髪型にも注目したいところ。 どちらも当時最先端のファッションスタイルです。 特に金の刺繍が施された着物は思わず見入ってしまうほどの美しさ。 縫箔師の父を持つ師宣は着物の繊細な描写を得意としていました。

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師宣の画風は「菱川様」と呼ばれ一世を風靡しました。 彼のもとには多くの弟子が集い、菱川様の肉筆画が次々と制作されました。 師宣を祖とした絵師集団を「菱川派」を言います。 今後も「鳥居派」「歌川派」というように絵師の派閥が登場するので覚えておいてください。 菱川派の門人としては 師房もろふさ師重もろしげ が有名です。 下は菱川師房の肉筆画です。

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民衆のための芸術

江戸以前の芸術は「貴族のための芸術」でしたが、浮世絵版画によってようやく「民衆のための芸術」が成立しました。 浮世絵版画がなぜ民衆に受け入れられたのか、理解しておくことが重要です。

1つ目の理由は値段です。 版画は肉筆画と違って大量印刷されるので、庶民が安い値段で購入することができました。

2つ目の理由はメディアとしての役割です。 浮世絵は最新の社会風俗を知るための有力な手段でした。 特に江戸の人々の関心を惹いたのが二大悪所ー遊里と芝居町ーです。 遊郭に行ったり歌舞伎を見たりするのはたいへんな贅沢で、庶民が気軽に行ける場所ではありませんでした。 二大悪所をテーマとした浮世絵はよく売れるので、絵師たちもこぞって筆をとりました。 遊女を写した「美人画」と歌舞伎役者を写した「役者絵」は、浮世絵の基本的な画題として定着していきます。

関連項目

ソース

  • 稲垣進一(編)『図説浮世絵入門』河出書房新社 1990
  • 小林忠(監修)『カラー版 浮世絵の歴史』美術出版社 1998

最終更新日: 2024-02-26