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浮世絵の歴史(3) 役者絵の鳥居派 肉筆美人画の懐月堂派

菱川師宣の死後菱川派は衰退し、代わって新しい流派が隆盛します。 それが鳥居派と懐月堂派です。

鳥居清信

鳥居派の祖 鳥居清信とりい きよのぶ は「役者絵」というジャンルを開拓した人物です。 女形役者だった父とともに江戸に移り住み、そこで歌舞伎役者や当世の美人を写した一枚摺を制作するようになりました。 初代市川団十郎の登場で歌舞伎界が大いに盛り上がっていたこともあり、清信は役者絵で高い評判を得ます。

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清信はその後芝居小屋に掲げられる看板絵を手がけるようになり、鳥居派と歌舞伎界の密接な関係を築きました。 鳥居家は現代に至るまで歌舞伎の看板絵の仕事を任されています。 ちなみに今日まで続く浮世絵の流派は鳥居家だけです。

役者絵の印象が強い清信ですが、美人画も描いています。 《立美人》を見てみると、着物の線が太くのびやかに描かれているのがわかります。 背景を簡略化する代わりに人物に焦点を当てた明快な構図になっています。

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鳥居清倍

清信の画風を受け継ぎさらに大胆に進化させたのが 鳥居清倍とりい きよます1 です。 清倍の代表作《初代市川団十郎の竹抜き五郎》を見てみましょう。

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「竹抜きの修行に励む曽我五郎」に扮した初代市川団十郎を描いています。 何よりもまず、ぐいぐいと力強い描線が目に留まります。 ぬたくった線がみみずのようであること、脚の筋肉がひょうたんのように盛り上がっていることから、清倍の画風は「瓢箪足蚯蚓描ひょうたんあしみみずがき」と呼ばれました。 右上がりの構図も相まって男の勇壮さが際立っています。

竹を引っこ抜こうと力んでいるからでしょうか? 竹抜五郎は赤く彩色されています。 墨一色の版画に朱色で筆彩したものを丹絵(たんえ)2と言います。

懐月堂安度

役者絵で頭角を現した鳥居派に対して、肉筆の美人画で人気を集めたのが懐月堂派です。 懐月堂派の祖 懐月堂安度かいげつどう あんど は吉原の遊女をモチーフとした豊満な立美人を得意としました。 安度が画期的だったのは肉筆画の量産を始めたことです。 肉筆画は高級品で本来金持ちしか注文できないものでしたが庶民も欲しがっていました。 そんな庶民のニーズをがっちりつかんだことが懐月堂派の繁栄につながりました。

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安度の立美人図を見てみると、衣紋線は太くのびやかなのに対して、女性の顔は細い線で描かれています。 肥痩のある線が画面にメリハリを与えています。 比較的大柄な着物の模様は安価な泥絵の具で彩色されています。

安度の作例をいくつか見ていくと、どれも似通ったポーズである種のパターンがあることがわかります。 肉筆画量産のカギはこの「パターン化」にありました。 いくつかのポーズを用意し、着物の柄や色彩だけを少しずつ変えてバリエーションを持たせたのです。

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安度は大奥のスキャンダル「江島生島事件」に連座して伊豆へ流罪となり、絵師生命を絶たれました。 安度の門弟には 安知あんち度繁どはん度辰どしん度種どしゅ度秀どしゅう らがおり、安度の後を継いで肉筆画および版画の制作に励みました。 下は長陽堂安知の作品です。

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関連項目

ソース

  • 稲垣進一(編)『図説浮世絵入門』河出書房新社 1990
  • 小林忠(監修)『カラー版 浮世絵の歴史』美術出版社 1998

  1. 清倍は経歴不詳の人物で、鳥居を名乗りながら鳥居派の系図には名前がありません。 清信と息子か兄弟、はたまた同一人物とも考えられています。 

  2. 丹は鉛に硫黄と硝石を加えて焼いたもの。朱色の絵具として用いられました。 


最終更新日: 2024-05-13