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浮世絵の歴史(4) 錦絵以前の浮世絵表現

浮世絵前期の版画技術は画面内で使える色数に限りがありました。 ここでは、技術上の制約がありながら独自の工夫によって浮世絵表現を開拓してきた絵師たちを紹介します。

宮川長春

宮川長春みやがわ ちょうしゅん は、江島生島事件で絵師生命を絶たれた懐月堂安度に代わって、肉筆美人画の第一線で活躍しました。 安度は庶民向けにパターン化した肉筆画を量産しましたが、長春は金持ちの商人や武士を顧客とし、一枚一枚丁寧に作画・彩色した豪華な肉筆画を制作しました。

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長春は肉筆画を専門とする宮川派を興し、一笑や長亀といった優れた門人を輩出しました。

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長春の晩年にショッキングな出来事が起こります。 1750年、長春は狩野春賀の求めに応じて日光東照宮の彩色修復事業に参加しました。 ところが春賀が賃金を払わなかったことでトラブルとなり、長春の息子が春賀を殺害してしまったのです。 息子は死罪、一部の弟子も流刑となり、長春自身は2年後に亡くなりました。

奥村政信

奥村政信おくむら まさのぶ は、浮世絵師でありながら浮世絵出版のプロデューサーでもあった人物。 政信の経営していた版元「奥村屋」は、日本橋通塩町(現 馬喰町)にありました。

絵師が注目されがちな浮世絵ですが、絵師の他に、

  • 版元: 浮世絵の企画から制作、販売を統括する
  • 彫師: 絵師が描いた下絵をもとに版木を彫る
  • 摺師: 版木に色料を付け、和紙に摺り上げる

といった職業人が浮世絵制作を支えていました。 誤解されがちですが、絵師は版元の注文、ひいては庶民のニーズに応じて「売れる絵」を描くのであって、好き勝手に描くわけではありません。

絵師と版元を兼業していた政信は新しい題材を積極的に試すことができました。 たとえば、当時人気のあった女形役者・佐野川市松の絵姿をいち早く世に送り出しています。 市松のファッションは「丸に同の字紋」「碁盤目模様」を特徴としており、後者は「市松模様」として大流行しました。

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実験的な表現も積極的に探究し、「柱絵」や「浮絵」を創案しました。 柱絵の画面は縦68~74cm、横12~13cmと極めて細長いのが特徴です。 柱に貼るような形であることから柱絵と呼ばれました。

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浮絵はかなり誇張した遠近法(透視図法)で描かれた絵です。 近景が浮いて見えることから浮絵と呼ばれました。 1720年の蘭学解禁を機に入ってきた西洋の知識は、絵師たちに少なからぬ影響を与えました。

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政信は画中に「柱絵根源」「浮絵根源」と書き入れ、自分が柱絵と浮絵の元祖であることをアピールしました。 ひょうたん印も版元が奥村屋であることを示すサインです。 政信が宣伝方法にも工夫をこらしていたことがわかりますね。

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政信のフォロワーとして、 奥村利信おくむら としのぶ西村重長にしむら しげなが がいます。 奥村利信は政信の弟子で、物売姿の役者絵で優品を残しました。

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西村重長も奥村政信の画風を吸収した絵師で、のちに西川派の開祖となります。 重長の浮絵を見てみると、室内描写に遠近法が用いられる一方、野外には用いられていないことが確認できます。 日本の絵師が拙いなりに西洋由来の絵画技法を吸収していたことがわかりますね。

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西川祐信

浮世絵版画が栄えたのは江戸でしたが、 西川祐信にしかわ すけのぶ は上方(京都・大阪)で活躍した絵師で、「上方浮世絵の巨匠」と評されています。 祐信の出世作は貴賤の異なる様々な女性を描いた絵本『百人女郎品定』1です。 女帝から遊女、百姓の女に至るまで見事に描き分け、その評判は上方のみならず江戸にまで知れ渡りました。

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祐信は生涯に60種以上の絵本を刊行しましたが、一方で肉筆画においては「時計と美人」を好んで描きました。 祐信が描く丸顔の美人は、美しい衣装に身を包み、京らしいはんなりとした品位を感じさせます。 祐信の画風は江戸の絵師たちにも絶大な影響を与え、その中には浮世絵の新時代を切り開く 鈴木春信すずき はるのぶ もいました。

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色彩表現と版画技術の進歩

ここで一度、浮世絵版画の色彩表現や版画技術がどのような発展を遂げてきたのか、確認しておきます。墨摺絵 → 丹絵 → 紅絵 → 紅摺絵 → 錦絵という大きな流れをおさえましょう。

一枚摺版画は最初墨一色の「墨摺絵」でしたが、華やかな画面を求める声に応じて、墨摺絵に筆彩が施されるようになりました。

まず作られたのが鉱物質の赤色(丹)を用いた「丹絵」でした。 次第に紅花から作った色料を用いて「紅絵」が作られるようになり、色調は淡く軽やかなものとなりました。 紅絵のうち、墨に膠を混ぜて漆のような光沢を出したものを「漆絵」と言います。 漆絵はより豪華に見せるため、金を模した銅粉や雲母をふりかけることもありました。

丹絵や紅絵で課題となったのは「品質と生産数のトレードオフ」でした。 丁寧に彩色すると出来上がりに時間がかかり、浮世絵の生産数は少なくなります。 逆に量産を優先すると彩色が雑になってしまい、絵の質が落ちてしまいます。

そこで開発されたのが「紅摺絵」です。 紅摺絵は墨摺絵の上に紅色・緑色を重ね摺りしたものです。 紅摺絵の制作過程を簡単におさえておきましょう。

  1. 墨摺用の版と色用の版を用意する。すべての版木に「見当」という印をつけておく。
  2. 墨摺用の版を紙に摺り、ベースの墨摺絵を作る。
  3. 墨摺絵の上に色用の版を摺っていく。見当を利用して色版と墨摺絵の位置を合わせ、重ね摺りする。

筆彩から版彩になったことで使える色数が増え、さらに摺りの作業効率も大幅に改善しました。

紅摺絵の絵師として有名なのが 石川豊信いしかわ とよのぶ鳥居清満とりい きよみつ鳥居清広とりい きよひろ です。 石川豊信は西村重長の弟子で、紅摺絵の美人画で知られています。

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上で紹介した奥村政信は、墨摺絵・丹絵・紅絵・漆絵・紅摺絵のすべてで作品を残しました。 60年にわたる政信の画業に浮世絵版画の発展史を見ることができますね。 政信が没した翌年に多色摺り版画「錦絵」が発明され、浮世絵の色彩は格段に豊かになります。

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関連項目

ソース

  • 稲垣進一(編)『図説浮世絵入門』河出書房新社 1990
  • 小林忠(監修)『カラー版 浮世絵の歴史』美術出版社 1998

  1. https://dl.ndl.go.jp/pid/2541151/1/1で『百人女郎品定』を見ることができます。 


最終更新日: 2024-02-26