コンテンツにスキップ

浮世絵の歴史(5) 錦絵黎明期を築いた鈴木春信

1765年頃、色摺版画が急速に改良され「(東)錦絵1」が生まれました。 紅摺絵がせいぜい3色だったのに対して、錦絵は多い時で10色以上もの色版が使われました。 ここでは、錦絵が開発される背景と、錦絵黎明期に活躍した絵師 鈴木春信すずき はるのぶ について解説します。

錦絵の誕生

江戸時代には太陰暦2が用いられており、1年は30日ある「大の月」と29日ある「小の月」から成っていました。 月の大小は毎年異なるので、その区別を記した「絵暦」を作り、新年の初めに配る習慣ができました。

そのうち絵暦のデザインに凝った好事家たちが交換会を開き、印刷面・内容面の優劣を競うようになりました。 印刷面、つまり彫や摺の技術は好事家たちの投資によって日進月歩で発展していきました。 より豪華で美しい絵暦を作りたいという好事家たちの情熱が錦絵発明の原動力となりました。

一部の絵暦には彫師や摺師の名前が記されていることから、彼らが制作において重要性な役割を担っていたのだと理解できます。

xxx

鈴木春信

絵暦の内容面(画題や図柄)を開拓したのが鈴木春信です。 好事家たちは絵暦に日本の古典文学や中国の故事説話などを盛り込んで教養をアピールしたがりました。 春信は好事家が要求するアイデアを見事に絵画化し人気絵師となりました。

xxx

春信の描く人物は清廉で可愛らしく、まるで人形のようです。 だれもかれも中性的で男女の見分けがつきません。 現実味がなくどこか夢見心地な人々の姿は「浪漫的」「抒情的」とも評されます。 春信の画風に影響を与えたのは中国版画の仇英や上方浮世絵の西川祐信だとされています。

xxx xxx

前述したように春信は古典の絵画化を得意としていました。 古典文学や説話を題材としながら、登場人物や場景の設定を当世風俗に置き換えた絵を「見立絵」と言います。 絵の元ネタを当ててみたり、翻案の妙を味わってみたり、というのが見立絵の楽しみ方。 春信は好事家グループと交流する中で古典への造詣を深め、教養人たちをうならせるような高度な見立絵を次々と発表しました。

《雨夜の宮詣》は謡曲『蟻通』に取材した見立絵です。 この絵には題が記されていないので、鑑賞者は画中のモチーフだけを頼りに絵解きをしなければなりません。 ここでは激しく降る雨、鳥居、女性の持つ傘や提灯が重要なヒントです。 原典は「雨の夜、神社を通りかかった紀貫之が蟻通明神に出会う」という内容ですが、これを若い女性に置き換えています。 さらに提灯についた紋から、この女性が笠森稲荷の水茶屋で働く「お仙」だと読み解くことができます。 お仙は茶屋の看板娘で、江戸一番の美人と評判でした。

xxx

《坐鋪八景》も見立絵で、中国で親しまれた画題「瀟湘八景」3を、江戸の女性の日常に置き換えて描いたものです。 「八景」の名の通り8枚の絵がセットになった、豪華な色摺版画です。 著名な俳人である大久保巨川の依頼で制作されました。

xxx

絵暦は当初好事家が私的に作っていたものでしたが、春信の人気に目をつけた版元は、春信作品の版木を譲り受けて増刷し4、商品として売り出しました。 販路拡大で庶民からも支持を得た春信は、見立絵に限らず大衆向きの画題(例えば町で評判の美人)も描くようになります。 下の絵に描かれているのは前述した笠森稲荷のお仙です。

xxx

春信の美人画は数多くの模倣者を生みました。 中でも興味深いのが洋風画で知られる 司馬江漢しば こうかん です。 江漢は若い頃、春信の名を騙って作画していたこと、鈴木春重の落款で春信風の美人を描いていことを自著の中で告白しています。 春信落款を持ちながら誇張した遠近法が用いられている作品は江漢の手にによるものと考えられます。

xxx

春信は人気絶頂のさなか1770年に急死します。 短い作画期間に1000点を超える作品を残しました。 春信の死後、浮世絵師たちは彼の模倣からぬけ出し、独自の画風を追求していきます。

関連項目

ソース

  • 稲垣進一(編)『図説浮世絵入門』河出書房新社 1990
  • 小林忠(監修)『カラー版 浮世絵の歴史』美術出版社 1998

  1. 西陣織の「錦」のように美しい「江戸(東)」の絵という意味で、「東錦絵」と名付けられました。単に「錦絵」と呼ぶこともあります。 

  2. 江戸時代と現代とで1年の暦や1日の時間の捉え方は大きく異なるので注意が必要です。例えば江戸時代の「春」は1月から始まります。春は1~3月、夏は4~6月、秋は7~9月秋、冬は10~12月となります。 

  3. 中国・瀟湘地方に所在する八つの景勝地。山市晴嵐・漁村夕照・遠浦帰帆・瀟湘夜雨・煙寺晩鐘・洞庭秋月・平沙落雁・江天暮雪。北宋の宋迪が描いてから中国山水画の画題として定着しました。 

  4. 絵暦の売買は禁じられていたので、暦や依頼者の名前は版木から削除されました。 


最終更新日: 2024-02-26