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浮世絵の歴史(6) 美人画の系譜 磯田湖龍斎から鳥居清長まで

鈴木春信の死後、老中田沼意次の重商主義政策が始まり、経済や文化が発達しました。 浮世絵においては、春信風の浪漫的な表現は影を潜め、現実主義・写実主義の傾向が強まりました。

ここからの浮世絵史は、美人画の流れと役者絵の流れに分けてとらえると理解しやすいです。 第6,7回で 喜多川歌麿きたがわ うたまろ を頂点とする美人画の系譜を、 第8,9回で 東洲斎写楽とうしゅうさい しゃらく を頂点とする役者絵の系譜を紐解いていきます。

磯田湖龍斎

磯田湖龍斎いそだ こりゅうさい の画業は、「春広」の落款を用いて春信風の美人画を描くことから始まりました。 のちに春信の模倣を脱し、肉感のある独自の女性像を確立します。

湖龍斎の作品で重要なのが大判錦絵《雛形若菜の初模様》です。 その年初模様の衣装を着た実在の遊女と禿をモチーフとしており、彼女らの名も記されています。 横に張り出した髪型「灯篭鬢(とうろうびん)」は当時の流行でした。

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《雛形若菜の初模様》は大ヒットし100枚を超えるシリーズとなりました。 この作品の刊行を機に画面サイズに大判が使われるようになります。

湖龍斎は柱絵でも優れた作品を残しています。 縦長の画面に収めるべくモチーフが大胆にトリミングされている点が見所です。

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法橋1の地位を得てからは版画をやめ肉筆画に専念しました。

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北尾重政

美人画のリアリズム路線に先鞭をつけたのが 北尾重政きたお しげまさ です。 独学で絵師になり、黄表紙2の挿絵や絵本など版本の仕事を多く手がけました。

重政の代表作は『青楼美人合姿鏡』3 。 実在の花魁をモデルに吉原の風俗を描いた絵本です。

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《東西南北之美人 東方乃美人》は重政にしては珍しい一枚絵の作例です。 重政が描く女性には"生活感"があります。 身のこなしや振る舞いが自然でなので、絵でありながら生身の人間を見ているかのように感じられるのです。

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気品と色気を併せ持つ重政の女性像は、次代の 鳥居清長とりい きよなが や喜多川歌麿に影響を与えました。 重政は北尾派の祖となり、 窪俊満くぼ しゅんまん北尾政演きたお まさのぶ北尾政美きたお まさよし といった門弟を育てました。

北尾政演

北尾政演は浮世絵師から戯作者に転身した経歴の持ち主。 戯作者としてのペンネームは「山東京伝」。 日本史学習者なら一度は耳にしたことがあるはずです。 絵師としての仕事は黄表紙の挿絵が主で、自分の小説に自分で挿絵を描くこともありました。

代表作は新春の吉原に息づく花魁と禿を描いた『青楼名君自筆集』4。 ページ上部に花魁自筆の古典和歌や漢詩を載せた趣向が見所です。 販売を担ったのは版元の蔦屋重三郎、のちに歌麿や写楽を世に送り出す名プロデューサーです。

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北尾政美

北尾政美の作品は黄表紙の挿絵ばかりで一枚絵はごくわずかです。 その一枚絵もほとんどが浮絵や武者絵で美人画は数点だけしか残っていません。

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津山藩松平候のお抱え絵師になると 「鍬形蕙斎くわがた けいさい」 と改名し、狩野派など浮世絵以外の画派を学びました。 蕙斎としての代表作に《近世職人尽絵詞》があります。

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様々なモチーフを略筆で描いた『略画式』は絵手本として評判を呼び、テーマごとに続刊が出されました(『鳥獣略画式』、『人物略画式』、『山水略画式』など)。

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もう一つのユニークな仕事は上空から広い範囲を見下ろすような鳥瞰図です。 「江戸鳥瞰図」や「日本鳥瞰図」が知られています。

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歌川豊春

歌川豊春うたがわ とよはる は浮絵を洗練させた絵師です。 浮絵は奥村政信、西村重長と描き継がれてきましたが、遠近法が部分的にしか用いられないせいでちぐはぐな感じになっていました5。 豊春は西洋銅版画を浮世絵版画に模写することで遠近法への理解を深めていきます。 下の浮世絵はヴェネツィアの運河が描かれた銅版画をもとに制作されました。

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正しい遠近法を習得した豊春はそれを用いて江戸の風景を描き始めます。 豊春が推し進めた風景画は 葛飾北斎かつしか ほくさい歌川広重うたがわ ひろしげ によってさらなる発展を遂げることになります。

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もっぱら浮絵の印象が強い豊春ですが肉筆美人画も描いています。

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歌川派を興したことも豊春の功績です。 歌川派の絵師たちは浮世絵界をリードする存在となりました。

鳥居清長

鳥居清長の美人画はすぐに見分けがつくほど特徴的です。 小顔にすらりとした長身で、八頭身ほどの理想的なプロポーションをしています。 顔立ちはおっとりとしていて健康的な感じがします。 清長美人は愛好家から「東洋のヴィーナス」と評されています。

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若い頃は磯田湖龍斎や北尾重政の影響下にあった清長ですが、《当世遊里美人合》で美人画絵師としての名声を確立しました。 画面サイズには大判が選ばれ、以降の主流となります。

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清長は複数の絵を並べて1枚の絵に仕立てた「続絵」という形式を得意としました。 たいていは2枚か3枚横に並べますが、五枚続という大きなものもあります。

三枚続の《吾妻橋下の涼み船》は清長のすぐれた構成力を示す好例です。 そこには人物と風景が一体となった空間が現れています。 背景には遠近法が用いられており、自然な奥行きが感じられます。

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清長の続絵はバラバラに切り離した状態でも一つの絵として鑑賞できるようになっています。 続絵としても一枚絵としても破綻のない構成になっていることを確認してみてください。

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清長は柱絵にも優品を残しています。 《風》は、着物の裾からのぞく脚の"チラリズム"が印象的。

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清長は鳥居派として役者絵でも新機軸を打ち出しました。 それが「出語図(でがたりず)」です。 所作事(歌舞伎舞踊)を演じる役者の背後に、唄や楽器の演奏者を描いた点が画期的でした。 出語図の制作にはこの頃役者絵の分野で台頭してきた勝川派に対抗する意図があったようです。

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清長の影響が色濃い絵師に、 勝川春潮かつかわ しゅんちょう と窪俊満がいます。

勝川春潮

勝川春潮は清長を模倣した作風で知られています。 役者絵に新風を吹き込んだ 勝川春章かつかわ しゅんしょう を師に持ちながら役者絵はほとんど描かず、もっぱら美人画を手がけました。 版画は清長風、肉筆画は春章風と画風を使い分けていたようです。

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清長と同時代に活動し一時は人気を二分するほどでしたが、歌麿の台頭で絵師生活を止めてしまったと言われています。

窪俊満

窪俊満は版画・肉筆画の両方で「紅嫌い」の作品を残しています。 紅嫌いとは、紅などの派手な色を使用しない浮世絵で、墨・鼠をメインカラー、紫・緑をサブカラーとして用いました。 地味な色彩に独特な趣きがあるとして、風流人に好まれました。

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俊満の画業でもう一つ特筆すべきなのが500点にも及ぶ狂歌摺物です。 狂歌摺物は狂歌に絵を添えた版画で、狂歌師が知人に配るために自費で制作されました。 狂歌師は浮世絵師に絵を描かせ彫摺に贅を尽くしました。 俊満自身も文芸的才能にも恵まれていたようで、黄表紙や洒落本、狂歌を出版しています。

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関連項目

ソース

  • 稲垣進一(編)『図説浮世絵入門』河出書房新社 1990
  • 小林忠(監修)『カラー版 浮世絵の歴史』美術出版社 1998

  1. 僧侶に与えられた位で、法印、法眼に次ぐポジション。 平安時代に制定されたものですが、のちに僧以外(医師や絵師など)にも与えられるようになりました。 

  2. 洒落・風刺・滑稽をおりまぜた、大人向けの絵入り小説。表紙には黄色が用いられました。 

  3. https://dl.ndl.go.jp/pid/1286934/1/1で『青楼美人合姿鏡』を見ることができます。 

  4. https://dl.ndl.go.jp/pid/1288343/1/1で『青楼名君自筆集』を見ることができます。 

  5. 奥村政信と西村重長の浮絵は、浮世絵の歴史(4) 錦絵以前の浮世絵表現に詳しいです。 


最終更新日: 2024-06-12