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浮世絵の歴史(7) 美人画の頂点 喜多川歌麿

前回に引き続き美人画の系譜を解説します。 今回は満を持して 喜多川歌麿きたがわ うたまろ を紹介します。 「大首絵」という革命的な美人画様式を確立した歌麿は「美人画の最高峰」と評されています。 同時代に活動した鳥文斎栄之は美人画において人気を二分するライバルでした。

喜多川歌麿

歌麿は在野の狩野派絵師 鳥山石燕とりやま せきえん に絵を習いました。 妖怪画を得意とした石燕は、かっぱ・かまいたち・ぬらりひょんなど、この世ならざる者に形を与えました。 『画図百鬼夜行』は妖怪好き必見の書です。

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歌麿は美人画で売れっ子になる前、狂歌絵本で目を見張る仕事をしています。 『画本虫撰』1『百千鳥』『潮干のつと』の三部作で、植物・虫・貝・鳥の数々を繊細な筆致で描き出しました。 これらは極彩色の折帖という豪華な体裁で出版されました。

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女性の胸元から上をクローズアップして描く美人大首絵によって、歌麿は美人画絵師としての名声を確立します。 大首絵はもともと役者絵の分野で使われていた構図でしたが、歌麿はこれを美人画に応用し、女性の表情を間近で楽しめるようにしました。 歌麿は版元の蔦屋重三郎とタッグを組み、美人画の名作を次々と世に送り出しました2

美人大首絵の代表作が《歌撰恋之部》です。 『古今集』などの歌集の恋の部になぞらえて、恋する乙女たちの機微を描きました。 唇をとがらせたり目を細めたりする表情は、逢えない人に思いを募らせる若い娘の心情をよく表しています。 指先の微妙なニュアンスも相まって焦れったい恋心をひしひしと感じますね。

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《婦人相学十体》も美人大首絵のシリーズです。 歌麿美人は艶っぽい面立ちが特徴です。 チラリと歯を見せながらあでやかに笑う姿は実に官能的です。 ただ不思議なことに、情を感じさせる表情やしぐさに対して、絵全体としてはシャープに作られています。 歌麿の造形性について、芸術家の高松次郎が的確な批評を残しています。

まず構図に始まって、線のからみあいの巧みさ、線の強弱のつけ方、線で決める面の処理、色彩においても、決して派手さはありませんが、必ずしっくりくる色あいをもっている。

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《娘日時計》は女性の1日を描いたシリーズ。 大首絵ではありませんが、日々の営みを細やかな筆致で描いています。 この絵の見所は顔や鼻の輪郭線を空摺り3で浮き出している点です。 あえて顔の輪郭線を描かず空摺りで処理することで、女性の白くやわらかな肌を表現しています。

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「青楼の画家」とあだ名される歌麿ですが、遊女以外に町の評判娘を描くこともありました。 下は「寛政の三美人」と称された高島おひさ・難波屋おきた・富本豊雛を描いた作品です。

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歌麿は自信家だったようで、自作の中に「美人画は歌麿にかぎる」と書き入れたり、自分の画風を真似る亜流絵師を「歎(なげ)かはし」と揶揄したりしています。

老中松平定信が寛政の改革を断行し、風俗取り締まりが強化されると、出版業界は弾圧の憂き目に逢います。 浮世絵に描かれる内容は事前に検閲を受け、改印がもらえないと出版できなくなりました。 大首絵に自粛要請が出されたり、遊女の名を添えた絵が禁止されたり、歌麿作品も規制の対象となりました。 歌麿は遊女の名前を判じ絵4にするなどして、当局の検閲をかいくぐっていたようです。

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反骨精神を持って錦絵を作り続けていましたが、幕府の禁令に触れる作品を制作したとして、入牢3日、手鎖50日の刑に処されます。 刑期を終えた後も錦絵を制作しましたが、意欲を失ったのか、以前のような趣きはなくなってしまいました。 ただし、晩年の肉筆美人画は一見の価値があります。

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歌麿は刑の2年後に過労で亡くなりました。 門人に、二代目歌麿、 菊麿きくまろ月麿つきまろ秀麿ひでまろがいます。

鳥文斎栄之

鳥文斎栄之ちょうぶんさい えいし は武家(旗本)出身という異色の絵師。 将軍の側に仕える人間がなぜ浮世絵を描くようになったのか謎ではあるものの、余暇に筆をとっていたものと思われます。 狩野典信に絵を学んだ栄之は、34歳の時家督を譲って画業に専念します。

栄之と歌麿は共に美人画で名声を得ましたが、両者の作風には違いがあります。 歌麿の描く美人が表情豊かなのに対して、栄之の描く美人は感情を露にすることがありません。 ほっそりとした清楚な面持ちは気品を感じさせます。 栄之の典雅な女性像には、慎ましさや品格を重んじる武家ならではの女性観が反映されています。

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また栄之は全身像(座像や立像)が多く、この点も大首絵の歌麿とは一線を画しています。 《青楼美人六花仙》は花魁の座像を「黄潰し」で演出した作品。 黄潰しは人物の背景(=地)を一色で摺る「地潰し」のバリエーションです。 流麗な衣紋線にも注目してみてください。

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『源氏物語』を当世風に描いた三枚続《風流やつし源氏》は「紅嫌い」の作例です。 墨や紫といった渋い色彩が通好みでした。

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幕府が出版統制を敷くようになると、栄之は一枚摺の制作をやめてしまいます。 武家の人間である栄之が幕府に逆らって錦絵の制作を続ければ、家門全体を危険にさらすことになりかねません。 錦絵から手を引いたのはそうなるのを避けるためでしょう。 錦絵の筆を折った後も肉筆画の制作を続けました。

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歌麿と栄之の影響力はすさまじく、同時代のほとんどの絵師は歌麿か栄之の模倣で終わりました。 彼らを継承しつつもユニークな作品を残した絵師として、栄之の弟子である栄昌えいしょう栄水えいすい栄里えいりと、 栄松斎長喜えいしょうさい ちょうき を紹介します。

鳥高斎栄昌

栄昌による美人画は200点にのぼり、その大半が大首絵です。 師の栄之に比べて栄昌の描く美人は媚びるような風情があり、いくぶん親しみやすい感じがします。

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一楽亭栄水

栄水による美人画は50点ほどで、栄昌と同じく大半が大首絵です。 栄水の大首絵は動感のある力強い構図が見所です。

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鳥橋斎栄里

栄里は戯作者の山東京伝と浄瑠璃演者の富本豊前太夫を描いた大首絵が有名です。

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栄松斎長喜

栄松斎長喜の美人画は極端に細い肩で見分けることができます。 あごはやや長めで、歌麿美人に比べて素朴な顔立ちをしています。

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関連項目

ソース

  • 稲垣進一(編)『図説浮世絵入門』河出書房新社 1990
  • 小林忠(監修)『カラー版 浮世絵の歴史』美術出版社 1998

  1. https://dl.ndl.go.jp/pid/1288345/1/1で『画本虫撰』を見ることができます。 

  2. 歌麿大首絵のヒット以前、自社で売り出した山東京伝の洒落本が発禁され、蔦屋は財産を没収されてしまいました。 美人大首絵の成功が蔦屋の窮状を救ったのです。 

  3. 版木に絵の具をつけずに摺ると、版木の彫り跡が和紙の表面に刻まれます。 和紙に刻まれた凹凸で着物の模様や鳥の羽根を表現しました。 

  4. 画中に隠された意味や言葉を当てて楽しむ絵。 「目で見るなぞなぞ」のようなもので、一見しただけではわかりませんが、絵を読み解くことで答えを導き出すことができます。 


最終更新日: 2024-02-26