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浮世絵の歴史(9) 役者絵の特異点 東洲斎写楽

前回に引き続き役者絵の系譜を解説します。 今回取り上げるのは、役者絵界に突如として現れそして瞬く間に消えていった 東洲斎写楽とうしゅうさい しゃらく です。 役者の"醜"の部分もあまさず描き出した写楽の大首絵は、残念ながら同時代の人々に受け入れられませんでしたが、今では役者絵の頂点と評価されています。 画壇を去った写楽に対して、ライバルの 歌川豊国うたがわ とよくに はカッコいい理想的な役者絵でその人気を不動のものとし、歌川派の繁栄を決定づけました。

東洲斎写楽

1794年5月、蔦屋重三郎の版元から28点もの刺激的な役者大首絵が刊行されました。 無名の絵師が贅沢な雲母摺1の錦絵を28点も出すなど前代未聞のことで、蔦屋の自信のほどがうかがえます。

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しかし、あまりにリアルな肖像に歌舞伎ファンはがっかりしてしまいました。 大田南畝の『浮世絵類考』によれば

あまりに真にかかんとて、あらぬさまに書なせしかば長く世に行われず一両年にて止む2

とのことで、写楽の絵師人生は短命に終わりました。

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写楽の活動期は1794年5月から1795年1月までの9か月で、その間に錦絵の役者似顔絵を中心とする145点を刊行しました。 それらの作品は刊行時期によって4つに分類されます。

1期
1794年5月に蔦屋から刊行された28図は写楽作品で最も優れたものです。 歌舞伎の都座・桐座・河原崎座が上演した狂言の登場人物たちを描き、中には通常の役者絵では取り上げられないような端役も含まれています。

黒雲母をバックに滑稽な表情を浮かべた役者の姿に、大衆はさぞかし驚いたことでしょう。 役者を美化するどころか、大きすぎる鼻や老いの象徴であるしわまで辛辣に描き出しています。 憧れの偶像を写したブロマイド的な役割を持っていた役者絵ですが、写楽の大首絵はそのタブーを侵し役者の本性にまで迫ったものでした。 斬新奇抜な作品は残念ながらモデルとなった役者当人やファンの顰蹙を買い、写楽は軌道修正を余儀なくされます。

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2期
1794年7,8月に刊行された38点で、こちらも都座・桐座・河原崎座の狂言に取材しています。 黒雲母の大首絵から一転、無背景に役者の全身像を配しました。 役者の表情や姿態で役どころをとらえようとする工夫は見られるものの、絵のサイズは勝川派と同じ小型の細判となり、伝統的な役者絵に迎合している感じが否めません。 世評を考慮して販売戦略を転換したことは明らかで、写楽の苦戦が伝わってきます。

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3期
1794年11月に刊行された64点で、細判の全身像に加えて相撲絵などが含まれています。 細判に背景を描いて続物3とするなど、勝川派の役者絵の形式を模倣した作品になってしまいました。

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4期
正月の狂言に取材した役者絵10点と相撲絵・武者絵の4点を刊行しますが、最初の頃の緊張感あふれる画風は失われてしまいました。 こうして写楽の役者絵は勝川春英や歌川豊国の"ウケのよい"役者絵に敗退してしまったのです。

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写楽はいったい何者なのか、その正体はいまだわかっていません。 能役者の斎藤十郎兵衛とする説4が有力ですが、活動期間が短いため研究をしようにもやりようがないのが現状です。 新たに有力な史料が出てこない限り写楽の素性は謎のままでしょう。

歌舞伎堂艶鏡

歌舞伎堂艶鏡かぶきどう えんきょう は写楽のフォロワーと思しき謎の絵師です。 現存する作例はわずか7点の役者大首絵しかありません。 誇張の効いた似顔ですが、写楽ほど"きつく"もなく、美しさやユーモアに対する感覚も見受けられます。 極印や版元印がないことから販売目的で作られたものではないようです。

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艶鏡の正体を狂言作者の二代目中村重助とみる説があり、それを信じるならば素人が余技として筆をとっていたことになります。

歌川豊国

歌川豊国は役者絵で頭角を現した絵師です。 人形師の父のもとに生まれ、歌川派の祖歌川豊春に入門して絵を学びました。

版元和泉屋市兵衛から刊行した《役者舞台之姿絵》5が出世作となりました。 シンプルな背景に華のある役者の姿を配した大判錦絵は大衆を魅了し、写楽を引き離す人気を獲得しました。 肥痩の少ない細線と明快な色彩に注目して見てください。 《役者舞台之姿絵》は40点を超えるシリーズとなりました。

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写楽に対抗して役者大首絵も制作しました。 容貌の美醜をうまく取捨選択することで理想的な姿を描いています。 顔の特徴をとらえる才能は人形師だった父から受け継いだものと考えられます。

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役者絵は次第にマンネリに陥ってしまうのですが、代わって美人画方面で精力的な仕事をするようになります。 生活感があって感情移入しやすい豊国の美人画は、大衆が好みをがっちりつかみました。 次第に目じりを上げた濃厚な作風に変化し、退廃的な美人画の先駆けとなりました。

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豊国の活躍によって歌川派は浮世絵界の最大派閥へと成長します。 弟子の 国貞くにさだ国芳くによし を中心に幕末まで繁栄しました。

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歌川国政

もともと紺屋の職人をしていた 歌川国政うたがわ くにまさ は似絵の才能を見出されて豊国に入門しました。 役者絵のセンスは抜群で、師の豊国が自分を超える力があると激賞したほど。

国政は抑揚ある線でダイナミックな大首絵を描きました。 余白を残さず画面いっぱいにクローズアップする構図は、それまでの役者絵と比べてもかなり斬新です。 エネルギッシュな配色も見所。

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国政の役者絵は大衆の支持を得ましたが、その後絵師を廃業し、役者のお面を作る職人として一生を終えました。

歌川豊広

歌川豊広うたがわ とよひろ は豊春の弟子の中では豊国に次ぐ実力者です。 高弟の豊国とは違い世相に迎合しないスタンスで、得意とする美人画も物静かな作風なので、豊国に圧されて目立たないところがあります。

錦絵、肉筆画、版本挿絵と幅広く仕事をしました。 豊広の描く美人はすらりとした柳腰に哀愁を浮かべた表情が特徴です。 大判錦絵を縦につなぐ「掛物絵」は豊広の創案とされ、肉筆の掛幅画の代用品として喜ばれました。 また、戯作者曲亭馬琴の読本6に多数の挿絵を描いています。

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豊広はあの 歌川広重うたがわ ひろしげ の師匠でもあります。 豊広の風景画は奇をてらうようなところがなく、静穏で温かみがあります。 その画風は弟子の広重へと確かに受け継がれています。

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関連項目

ソース

  • 稲垣進一(編)『図説浮世絵入門』河出書房新社 1990
  • 小林忠(監修)『カラー版 浮世絵の歴史』美術出版社 1998

  1. 雲母を用いた地潰し。 キラキラ輝いて豪華に見えます。 写楽の役者絵は黒雲母、歌麿の美人画は白雲母が使われています。 

  2. 同時代の人々にはすこぶる評判が良くなかった写楽ですが、肯定的評価がなかったわけではありません。 医者の加藤曳尾庵は『浮世絵類考』の補記で「しかしながら筆力雅趣ありて賞すべし」と称賛の言葉を述べています。 

  3. シリーズ物。 一枚で完結せず何枚か刊行してひとまとまりの内容を表します。 

  4. 斎藤月岑『増補浮世絵類考』 

  5. 刊行は1794年5月。奇しくも写楽の役者大首絵と同時期です! 

  6. 江戸時代に書かれた小説の一種。 絵を主にした草双紙に比べて挿絵が少なく、読むことに主体が置かれています。 上方を中心とする前期読本と江戸を中心とする後期読本に分けられ、前者は上田秋成の『雨月物語』、後者は曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』が有名です。 


最終更新日: 2024-02-26